四条通の藤井大丸がリニューアルに向け、しばらく閉店することになった。閉店前の最後の週、地下のフロアで古本市が開催されていた。京都市内では定期的に古本市があり、普段は店舗を構えない古本屋が多く出店している。ゴールデンウィーク前の最後の金曜日。最近はもう、それほど欲しい本に出会うこともなくなっているので、特に期待もせずにふらっと寄ってみたのだが、まんまと十五冊ばかりの本をお買い上げしてしまった。
その中にはいくつかの詩誌がある。まずは『潭』(書肆山田発行)。1984年12月に創刊された、詩と詩性を中心とする文芸誌である。編集人は粟津則雄、入沢康夫、渋沢孝輔、中上健次、古井由吉の五名。発刊の辞では、
現在、文学は感動と衝撃を与え得なくなったかのように見える。刻々に拡大する精神的宇宙に飛行するための手立てをあらかじめ失っているとでもいわんばかりだ。しかし、言葉の弾道は想像を超えた領野を貫き、はるかな一点を確実にとらえ得るはずである。言語表現は、現実を左右する力の結果的な均衡の上に居すわるべきではあるまい。
という危機意識が表明されている。対抗勢力はニュー・アカデミズムだろうか。
本誌は1987年9月に全9号で終刊となっている。古本市で発掘できたのは第1号と第2号のみであったが、いずれも当時の定価を下回る価格で売られており、少し拍子抜けした。総目次を作成している須賀真以子によれば、第6号までは各7000部発行されている(Tokyo Keizai University Institutional Repository: 文芸誌「潭」解題と総目次 : 資料)。そうであれば、それほど稀少性がないことは納得がいく。1号には平出隆の「家の緑閃光」諸断章、2号には吉岡実の「ムーンドロップ」などが掲載され、1号では数年前に10代でデビューしたばかりの中沢けいが小説を寄せてもいる。
続いては、『ユリイカ』臨時増刊号の「現代詩の実験」。この臨時増刊シリーズは、1972年から1987年まで毎年続いたようだが、今回入手したのは73年、74年の号である。以前に実家近くの古書店で見かけた際、たしか300円ほどで売られているのに驚いて、かえって買わずに出てしまった(当時はまだ詩を書きはじめたてだった)のだが、今回もそれに引けを取らない価格で売られていた。A4変形の大ぶりなサイズ、それに比して控えめなフォントサイズ(もっとも、この時代の標準だろう)が詩の余白を際立たせる。この贅沢な誌面は74年で終わってしまったようだが、豪華な陣容である。
74年の号では、飯島耕一の「川と河」がもっとも読みやすく、もっとも心に残る。飯島は1930年の生まれだから、44歳のときに戦争を振り返っていることになる。作中では三島由紀夫のことも考えられているが、彼が死んだのはその4年前、45歳のことであった。
この時期の詩を論じることは、今の若手には難しい。リアルタイムで生きていた詩人が健在である以上、迂闊に言及する権利すら剥奪されているように思う。そうなると「勉強」が必要になってくるわけだが、べつに戦後詩と手を切ってしまってもいい。
毎日が誰かの戦
後であり戦前である
と私は第一詩集(「Hypotheses」『乳既』所収)に書いた。ロシア・ウクライナの戦争が長期化し、タモリが「新しい戦前」と発言した頃である。ドキュメンタリーとして残すことの是非はあると思うが、ドキュメンタリーにたよらなければ詩を読解できない側面はある。私はそれを、美容をとりまく状況のたとえとして使った。戦争という言葉の意味は変われど、私たちはずっと戦後を生き、そして戦前を生きている。
果たして、編集後記にすがることになる。編集長の三浦雅士が残した所感には見るべきものがある。
ほんとうは、詩の価値、作品の価値を無限に問いつめていった場合、絶対的な判断は誰にも下せないのではないだろうか。これが現代詩の、あるいは現代文学の、もっとも大きな問題のひとつのように思われる。十人十色と言う。十人十色を問いつめて十人一色に持ち込むことは可能かもしれない。しかし、それを裏打ちするのは十人十色の感性の一致でしかない。それは、最終的には人それぞれのきわめて恣意的な好みの問題をでるものではないように思われる。[……]したがって、良心的な批評家は最後に一人ごちるほかないだろう。誰が何と言おうと自分はこの作品が好きだ。したがってそれは少くとも自分にとっては絶対的に価値がある。こうして、むしろどれだけ誠実に主観的であるかが批評の客観性にかかわるように思われる。
三浦自身が指摘するように、これは詩や文学に限らず、「現代の思想的な営為一般」の問題であった。この問題を前にして、いわゆる現代思想の哲学は方途を探ることになる。芸術のための芸術、そして「人間が人間であることによってのみ価値があるとは、いったいどういうことか」。
本号の掉尾を飾るのは、安東次男、丸谷才一、大岡信による連歌である。この意義について、三浦は次のような見解を示す。
連歌の世界は、数人の個性の関係の場としてまずそれが成立すること自体に意味があるかに思われる。極論するならば、出来上がった作品は抜け殻、その場を思い起こすべく残された抜け殻のように思われる。価値は、それが成立した場、関係そのものにあるのであって、残された句にあるのではない。──現代詩が陥っている袋小路が、現代社会の構造そのものにまで関連するものであるとすれば、本号で歌仙二巻を掲載し得たことは、語の真の意味で、現代詩の実験であり得たと信じる。
ここでは、美術や文学において作品という概念が反省を迫られていた時勢において、まさに場や関係性じたいを詩(の効果)として捉えようとしている。その後の美術の展開では、参加型アートに代表される「関係性の美学」の台頭がひとつの解答だった。そして、関係性の美学を特集した近年の美学雑誌に、中世の連歌における場(座)の理論を検討した論考が収録されていたのは、以上のような経緯をたどればしごく真っ当であった(土田耕督「『花の下連歌』における〈観客〉の発生と融解」、『a+a 美学研究』第12号「シアトロクラシー:観客の美学と政治学」、大阪大学美学研究室、2018年)。
近年においても、共同詩やリーディングなどのパフォーマンス、ワークショップの開催、あるいは他分野のアーティストとのコラボがよく見られる。しかし、それによって「現代詩が陥っている袋小路」が解消されているとは思わない。なぜなら、それが「現代社会の構造そのもの」までを問い直すものになっていないからだ。このような意味で、昨今の詩の政治性は薄いのだということができよう(政治を詩のモチーフとするか否か、という単純な誤解は正さなければならない)。あるいは、ZINEやアートブックフェアの発展に伴い、文学や書物の制度じたいを問い直す試みは多く見られるが、文学フリマがこの論点で批判されているように、名のあるものの作品だけが売れ、名のないものの作品はからきし、という状況に落ち着いてしまっている。何より、SNSで地道にプロモーションしなければ売れないというのが、制作の労苦に対する見返りのなさに拍車をかける。あくまでビッグ・テックが用意したプラットフォーム上で活動する限り、現代の構造そのものを批判することは不可能だからだ。
□
さて、名のなきものの作品が一堂に会する数少ない場面が、『現代詩手帖』の「新鋭詩集」である。昨年(2025年)は谷川俊太郎の追悼特集が3号にわたって組まれたこともあってか、新鋭詩集はなかった。そのため2年ぶりの企画であった。少なからず詩で名をあげたいと考えているものにとって、毎月の投稿欄とこの新鋭詩集は、直視したくはないが目を向けざるをえないものとして意識されているだろう。
一読したところ、関根健人「touch」、ローレル・テイラー「つき
①
②
③
④
に大別できよう。この詩は改行や字空け、字下げなどの基本的な書法についても精巧な操作が凝らされているが、際立っているのはやはり(現在にはまれな格調高い語彙と)ルビの使用だと思われる。①に関しては、読者への親切で付されているかと思いきや「靭(しな)やか」、「鏘然(しょうぜん)」、「沐(あら)い」、「涵(ひた)されあう」等の難読漢字にはルビがない。単に読者の漢字力を推し量ることまではしていないと解釈してしまってもよいが、ルビの振られていないものは、仮に読めなくても文字として認識できればいい、という考えだと受け取ることもできよう(逆に、わざわざルビを振っているものについては、文字と音との関係が重要である)。
そもそも、詩における表現技法としてルビを確立したのは、西洋詩から日本語への翻訳に取り組んだ上田敏である。この詩では、pirouette(ピルエット)、entrechat(アントルシャ)、pointes(ポワント)と三度バレエ用語が使われており、いずれもフランス語のまま(ルビはなく)表記されている。総じて見れば、上田に始まるルビの伝統を自在に活用している。
しかし特筆すべきは、④の「白鳥」に振られた「シーニュ」だろう。これは詩の主役、そして主題そのものだからだ。フランス語に明るくないものであれば、真っ先に連想するのは言語学の概念としてのシーニュ(signe)である。周知のとおり、言語の音声的・文字的側面をシニフィアン、意味的側面をシニフィエと呼び、両者が裏表で貼りついた総体としての記号をシーニュと呼ぶ。ルビは、本文の文字的側面に別の音声(そしてそれを表示する文字)の側面を組みこむことでシニフィアンを二重化する、日本語固有の言語操作である。
詩の終盤では、「もどかしい速写を繰りかえして」「文字になれない双のpointes」といったフレーズが登場することからも、何やら書く/描くという行為を問うているように見える。題名の「touch」からは、「絵のタッチ」というときの筆致の意に加えて、「思考とは音と意味との接触である」(『哲学とは何か』)というアガンベンの思想を連想することもできる。しかし、ここではたと気づく。シーニュをsigneと読むのは無理筋であると。そもそもソシュールの理論が古いというのもあるが、この詩の白鳥は何かと何かに切り分けられるものではないからだ。強いて言えば、媒体としての身躯と表出としての踊り、〈からだ〉と〈うごき〉であるかもしれないが、総体としての舞踊があればいいのではないか。
もしやと思って調べれば、やはりシーニュとは白鳥そのものにすぎなかった。cygneでシーニュ、白鳥を意味するフランス語である。はじめからsigneなど関係なかったのだ。しかし、この符合が何かをほのめかすことはできる。フランス語での発音がどれほど同じかわからないが、「シーニュ」というルビを振ったからには、cygneとsigneへの二重化の意図があったことは確かだろう。ここに、この詩の知的なたくらみを見ることができる。さらに言えば、書くことのアナロジーが示されている点は、バレエを「身体のエクリチュール」と捉えたマラルメの舞踊論をいやでも想起させる。
舞台 床 文字になれない双のpointes
それは、
湖沼の周縁を脆くなぞるみたい
線はいずれ葎に
続いてローレル・テイラーの「つき
以上の二作品については、書式という客観性の強い要素に注目したものであった。最後に言及したいのは、私の主観、ありていにいえば好み、趣味に基づいて選んだ詩である。熊倉ミハイの「蒐習拾周」。この詩は一見して目立つところはないが、読んでみるといちばんわけのわからないことを言っている詩である。描写は具体的で意味ありげなのだが、その情景じたいには何の意味もないところが好ましい。
冒頭6行目の「のちほど捨てるため、いったん、拾う」という詩にしては貧しすぎる一行にも、読点の使い方に気配りを感じる。39頁3行目の「どれにしよう と思ってみよう」という自己意識の二重化も、悲哀を帯びることなくいたってユーモラスで、爽快である。これを例えば、戦後詩的、現代詩的な読みをしてみるなら、「盗む」と対比される「拾う側の民」とは何かの隠喩なのかと勘繰ってしまうだろう。そこから、そもそも「盗む」と「拾う」は何が違うのか、と哲学的な方向へと舵を切ることもできるだろう。しかし、それ以上に言葉そのものを楽しむことが重要ではないか。「楽しい詩」というのは正当に評価されることが少ないが、私はそのような詩の方が気兼ねなく読めて、楽しい。それでいて、何やら含みもある。その緊張関係がよい。強引に言えば、ノンセンスであることすら、別にノンセンスである、という態度を感じる。いったんはこの深度での読みでもいいのではないか。蒐習拾周、しゅうしゅうじゅっしゅう(あるいは「しゅうしゅうしゅうしゅう」か)というタイトル。拾という字が大字で十を表すのとかけており、それだけで気色悪く、面白い。
同時代の詩人の存在は、いやでも目に入るものである。切磋琢磨することは詩の発展には欠かせない。しかし今、わたしたちがたたかうべきは、やはりグーグルやアマゾン、メタといったビッグ・テックなのだろう。いかに彼らの力をかいくぐり、詩を書き、発表し、流通させるか。「いい詩とは何か」ではなく、「詩をどうすればよいか」が強く問われている。
テレビをきらっていては
生きては行けない
(きみがじいっとがまんして
テレビを見る練習をした一刻一刻
が思い出される)
六十年代 七十年代
日本中がテレビを囲んで 放心している。
Ⅻ
詩は テレビに耐えて
必死になって 存在しようとしている
(必死に ということばは
好きではないが……)
夏の瘴気のなかに じいっとしゃがんでいると
そのことが よく わかる。
(飯島耕一「川と河」)