詩客 自由詩時評

月1回 第3土曜日更新

2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

自由詩時評第177回 佐峰 存

時々、ふと我に返るような心持ちになる。周囲の世界と私の意識が切り離されて感じられる。ここはどこなのか ― 身体も意識も投げ出されている“ここ”は。自身で選んでやってきた地点に違いない。しかし過去の自身が、今この瞬間の自身“ではない”以上、身に覚え…

自由詩時評第176回 父との物語 伊藤 浩子

先日、ひょんなことから、自分がなぜ精神分析学的臨床心理学を学び、しばらくそれに携わりながら、とうとう決定的に体を壊し、復帰を再三、依頼されながらも「そんなもの、絶対にやるものか」という結論に至り、それに対して、心の底からホッとした経緯を「…

自由詩時評第175回 紺野とも『擾乱アワー』(マイナビ出版)という言葉 高塚 謙太郎

何らかの現実があり、それにしたがって私たちは言葉を垂れ流しているだけの在り方をしているのだろうか。言葉があってはじめてその何らかの現実は何らかの現実として私たちとともに在るようになるはずだ。むしろ垂れ流されているのは何らかの現実の方だろう…

自由詩時評第174回 百年の暮鳥 藤井 貞和

たいへんおもしろい企画で読ませるのは、TOLTAの『現代詩100周年』(2015・10/25)で、「はじめに」を見てみよう。「現在書かれているような日本の無定形・口語の自由詩の成立から百年目であると宣言します」とある。現代詩の特徴を、「特…

自由詩評 塚本邦雄と寺山修司の競作による対話―「新いろは加留多」― 玲 はる名(物部 鳥奈)

塚本邦雄と寺山修司の共著に『火と水の対話―塚本邦雄・寺山修司対談集―』(1977年 新書館)がある。塚本は『閑雅空間』(1977年 湯川書房)の出版年であり、寺山は1974年映画『田園に死す』の成功と文化庁芸術祭奨励新人賞授賞を経て益々の野心を光らせてい…